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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)856号 判決

原告 天北石炭ゲルマニウム株式会社

訴訟被告知人 株式会社塩谷製作所

被告 梁井淳二

主文

原告の本訴訟請求中手形金の支払を求める第一次の請求は棄却する。

被告は原告に対し金八十四万五千九百四十六円及びこれに対する昭和二十八年三月四日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払うべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告において金二十八万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第二、三項同旨の判決竝びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

(一)、原告は石炭の採掘を業とする商事会社である。

(二)、しかして原告は昭和二十七年八月二十五日被告に対しその申込に応じ洗中塊炭九十九屯五百四十瓩を屯当単価六千百円、ライオン歯磨東京工場向の約で売渡した。しかるに被告は原告が請求しても右代金六十万七千百九十四円の支払をしない。

(三)、次に被告は株式会社塩谷製作所が昭和二十七年七月二十八日附を以て被告に宛て振出した金額二十三万八千七百五十二円五十銭、支払期日同年十月二十五日、支払地東京都杉並区、支払場所株式会社大阪銀行西荻支店、振出地同都三鷹市なる約束手形一通を同年八月二十七日拒絶証書作成義務免除のうえ原告に裏書譲渡した。原告は右手形の所持人として満期の日、支払場所において支払のため手形を呈示したが支払を拒絶された。

(四)、もつとも被告は丸和興業株式会社の代表資格を称して右(二)の売買竝びに(三)の手形裏書をなしたものであるが右会社は当時その設立が予定されていながら遂に設立に至らなかつたものであるからその代表資格の呼称は被告個人の単なる肩書にすぎないのであつて、右売買竝びに手形行為は実質的には被告個人の行為に外ならない。

(五)、仮に手形外観解釈の原則適用の結果右手形行為につき右(四)の主張に理由がないこととなつたとしても右手形行為については手形流通安全の立場から代理人として手形行為をなした者が代理権を証明することができない場合自ら手形上の義務を負うべき旨を定めた手形法第七十七条第二項、第八条前段の規定を準用すべきであるから被告は手形裏書人としての責任を免れ得ない。

(六)、よつて原告は被告に対し本件売買代金及び手形金の合計金八十四万五千九百四十六円五十銭の円未満を切捨てこれに本件訴状送達の日の翌日たる昭和二十八年三月四日から完済に至るまで商法所定年六分の割合による遅延損害金を付して支払を求めるものである

と述べ、

前記(四)に関する被告の主張に対し、原告は被告をその経歴等から信用し、これに基き被告個人と取引をなす意思を以て、本件売買契約をなしたものであつて被告主張のように丸和興業株式会社なる虚無法人を取引の相手方としたのではない。しかしてこれは右会社が設立されると否とによつてなんら影響を受くべき事柄ではない。被告は右会社は既に社団性を有し被告がその代表者であつたと主張するが右会社は被告外数名が設立を計画したものの本件売買当時においては資金調達の見込がなくこれがため計画倒れの状態にあつたものであつて単なるブローカー以外の何ものでもなかつた。被告は又右会社の名称のもとに被告を代表者とする組合が存立していたものであると主張するがかような組合関係の存否は被告の内部的事情にすぎず原告の関知するところではないと附陳し、

被告主張の後記(一)、(二)の抗弁に対し、本件手形裏書行為はこれをなすにあたり被告に丸和興業株式会社を設立する意思がなく原告もこれを知つていたのなら格別そうではなく被告においては右会社設立の意思を有し事実設立が予想されたところたまたま会社設立に至らなかつたにすぎないのであるから被告主張のような理由で通謀虚偽表示又は心裡留保とされるいわれはないと答え、

予備的請求の原因として、

(七)、仮に前記(三)の手形裏書につき被告の責任が生じないとしても被告が本件手形を原告に裏書譲渡したのは被告が原告から石炭百六十一屯三百七十瓩を買受けその代金の一部たる金二十三万八千七百五十二円五十銭の支払のためである。もつとも被告は右売買をなすにあたつても丸和興業株式会社の代表資格を称したものであるが前記(四)のとおり右資格の呼称は被告個人の単なる肩書にすぎないのであつて右売買は実質的には被告個人の行為に外ならない。

(八)、しかして仮に前記(二)竝びに(七)の売買における買主が被告個人ではなく丸和興業株式会社なる権利能力なき社団又は右会社の名称のもとに存立する組合であつたとしても被告は右各売買に先立ち原告に対し将来右会社の名義でなされる取引については全責任を負担する旨を確約し右社団又は組合のため連帯保証をなした。

(九)、さもなければ被告は右会社を設立する旨原告を申欺き右会社のなす売買名下に前記(二)の石炭九十九屯五百四十瓩、前記(七)の石炭百六十一屯三百七十瓩の各引渡を受けて原告に対し右(二)の石炭の価格金六十七万七千百九十四円、(七)の石炭の価格の一部たる金二十三万八千七百五十二円五十銭に各相当する損害を加えた。

(十)、よつてもし前記第一次の請求中手形金の請求に理由がないときは前記(七)の売買代金の支払を求め次にもし右請求竝びに前記第一次請求中売買代金の請求に理由がないときは前記(八)の連帯保証債務又は右(九)の不法行為による損害賠償義務のいずれかの履行を求めるものである

と述べ

被告主張の後記(四)、(五)の相殺の抗弁に対し、被告主張事実は否認する。被告主張の販売委託契約については被告が販売代金の取立を完了したとき手数料を協定して清算すべきものであつて被告主張のような手数料の特約は存在しなかつたと答え

立証として、甲第一、二号証、同第三号証の一、二、同第四号証の一乃至五を提出し証人三野明義(第一回)、同松本章敬、同宮崎芳作の各証言を援用し乙第一号証の一乃至三、同第二乃至第四号証は不知、乙第五乃至第八号証中郵便官署作成部分の成立は認めるがその余の部分は不知と述べた。

被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、答弁として

原告主張(一)の事実は認める。

原告主張(二)及び(三)(但し手形呈示の日時の点を除く)の各事実は、被告が丸和興業株式会社取締役社長の資格を以て原告主張の当該行為をなしたものであるとする限り、これを認める。原告が支払のため原告主張の手形を呈示したのは満期日の二日後たる昭和二十七年十月二十七日である。

原告主張(四)の事実は、被告が前記会社の代表資格を称したのは被告個人の単なる肩書にすぎず結局原告主張の石炭売買竝びに手形行為は実質的には被告個人の行為であるという点を除き、これを認める。

(1)、被告が右石炭売買にあたり丸和興業株式会社取締役社長の資格を称したのは被告個人の単なる肩書の意味ではない。すなわち原告自認のように当時右会社の設立が予定されていたので被告は右売買を右会社の代表者としてなしたものであつて被告個人としてなしたものではない。原告も亦右会社を売買の当事者として事を処理したのが実情である。かかる場合右会社が設立に至らなかつたからとて右売買がにわかに被告個人の契約に変貌するいわれはない。もしそうでないとすると逆に右会社が将来設立された場合には右売買は更に変貌して右会社の契約とならざるを得ないがかように契約の当事者が後日生起する事実によつて左右されるのはいかにも不合理である。要するに右売買における買主は右会社をおいて外にはない。しかるに右会社は遂に設立をみない虚無の法人であるから右売買は契約の効果を帰属せしむべき主体がなく本来無効のものである。もつとも当時(イ)、右会社は既に社団性を有し被告がその代表者であつたものであり(ロ)、仮にそうではないとしても右会社の名称のもとに被告を代表者とする組合(いわゆる発起人組合又はいまだ定款の認証がないため発起人組合といい得ない場合においては少くとも通常の組合)が存立していたものである。従つて被告が前記資格を称したことにより右(イ)の権利能力のない社団の代表者又は右(ロ)の組合員として被告個人の責任が問題とされるかも知れない。しかしながら右(イ)の場合においても被告は右社団からなんら財産の信託を受けているわけではないから前記売買代金支払の責任を負うべき限りではない。しかして又右(ロ)の場合においても右組合は十名の組合員から成り損失分担の定がなかつたから被告は組合の一員として平等の割合により右売買代金債務を負担するにすぎない。なお仮に前記石炭の売買が被告個人の契約であるとしても原告は被告と別個の存在たる前記社団又は組合に対しては石炭の引渡をなしたが被告に対してはいまだその引渡をなしていない。よつて被告は同時履行の抗弁権を行使し右石炭の引渡があるまで代金の支払を拒むものである。

(2)、次に原告主張の手形裏書行為については手形外観解釈の原則が適用されるから被告個人が裏書をなしたものとはとうてい解することができないのであつて右手形の記載に従い被告がその代表資格を呼称した丸和興業株式会社を以て裏書人と解する外はない。

原告主張(五)は理由がない。すなわち手形法第八条の規定は元来本人が実在する場合を予想したものであつて本人が虚無の法人であるような場合には適用がない。原告は手形流通安全の立場からかような場合にも右規定を準用すべきであると主張するがそれでは相手方が本人の虚無法人たることを知つていた場合に衡平を失することになるから原告の解釈には左袒し難くむしろ民法第百十七条の規定を単一に又は少くとも手形法第八条の規定に併せて類推適用するのが妥当である。しかるに原告は丸和興業株式会社が虚無法人たることを知つていた。

仮に知らなかつたとしてもこれにつき過失があつた。従つて被告は前記裏書につき責任がない。

と述べ、

抗弁として、

(一)、仮に本件手形裏書行為に関する前記主張に理由がないとしても当時丸和興業株式会社はいまだ設立に至らず従つて被告としても右会社に裏書人の責任を負わしめる意思がないのに原告と相通じて右会社の代表資格を称して右手形裏書をなしたものであるから該行為は原、被告の通謀による虚偽表示であつて無効である。

(二)、仮に通謀の事実がないとしても被告には右(一)のような心裡留保が存し原告はこれを知り又は知り得べき筈であつたから右手形裏書は無効である。

(三)、仮に以上の抗弁に理由がないとしても右手形裏書は被告が丸和興業株式会社なる虚無法人を代表して原告から石炭を買受けその代金支払のためになしたものであるが原告は右会社が虚無法人であつて被告がこれを代表するものであること換言すれば被告には他人の代理権がないことを知り仮に知らなかつたとしてもこれにつき過失があつたから民法第百十七条の規定により被告は右売買につき責任がない。従つて右手形裏書はその原因を欠くものである。

と述べ、

原告の予備的請求原因に対する答弁として、

原告主張(七)の事実については原告主張(四)の事実に対する前記答弁中(1) の主張と同様の主張(但し同時履行の抗弁権行使の点を除く)をなすものである。

原告主張(八)の事実は否認する。仮に被告が丸和興業様式会社の名義でなされる取引については全責任を負担する旨を確約したとしても右は原告の強硬な要望により代金回収の確実な信用のある者に転売することを誓約したにすぎないのであつて原告主張のように連帯保証をなしたものではない。仮にそうではないとしても右会社が権利能力を有しないことは前記のとおりであるから原告主張(二)及び(七)の各売買は契約の効果を帰属せしむべき主体がなく本来無効のものである。従つて被告の連帯保証は成立しない。

原告主張(九)の事実は否認する。被告は原告主張(二)及び(七)の各売買当時丸和興業株式会社を設立する意思を有し原告から支払を受くべき石炭の販売委託の手数料を会社設立資金に予定していたところたまたま右手数料の支払がなかつたため会社の設立が不成功に帰したにすぎないのであつて原告を欺罔して右会社名義の売買をなしたものではない。

と述べ、

更に抗弁として、

(四)、仮に以上の主張にすべて理由がないとしても被告は昭和二十七年五月頃原告から販売を遂げたときは屯当二百五十円の割合による手数料の支払を受くべき約で石炭の販売委託を受けこれに基き同年十一月中中央興産株式会社に対し原告の石炭千二百屯を販売したから原告に対し遅くとも同月末日を以て弁済期とする金三十万円の手数料債権を取得した。しかしてこれに対する同年十二月一日から昭和三十年七月三十一日に至るまでの商法所定年六分の割合による遅延損害金は金四万八千円となる。よつて被告は本訴(昭和三十一年二月六日午後一時の本件口頭弁論期日)において原告に対し右手数料債権の元本、損害金の合計金三十四万八千円を以て(1) 、原告主張(三)の手形金、(七)の売買代金、(八)の右代金の保証債務もしくは(九)の右代金相当の損害賠償金竝びに(2) 、原告主張(二)の石炭売買代金、(八)の右代金の保証債務もしくは(九)の右代金相当の損害賠償金と右(1) 、(2) の順序により対当額につき相殺する。

(五)、仮に右販売委託契約が前記のように丸和興業なる名称のもとに存立する組合と原告との間に成立したものであるとしても被告は右組合の一員として平等の割合により右(四)の手数料債権を行使し得べきである。よつてこれを組会員十名に分割した金三万四千八百円を以て原告主張(三)の支形金、(七)の売買代金、(八)の右代金の保証債務もしくは(九)の右代金相当の損害賠償金と対当額につき相殺するものである。

と述べ、

立証として、乙第一号証の一乃至三、同第二乃至第八号証を提出し証人大野良雄、同早坂清行、同三野明義(第二回)、同藤巻勝、同宮崎芳作の各証言竝びに被告本人尋問の結果を援用し甲号各証の成立を認めた。

理由

原告が石炭の採堀販売を業とする株式会社であること、しかして原告が昭和二十七年八月二十五日丸和興業株式会社代表者(成立に争のない甲第二号証によれば「取締役社長」)の資格を称する被告に対しその申込に応じ洗中塊炭九十九屯五百四十瓩を屯当単価六千百円、ライオン歯磨東京工場向の約で売渡すべく約したこと、又被告が右会社の代表者(成立に争のない甲第三号証の一によれば「取締役社長」)の資格を表示して株式会社塩谷製作所の同年七月二十八日附振出にかかる金額二十三万八千七百五十二円五十銭、支払期日同年十月二十五日、支払地東京都杉並区、支払場所株式会社大阪銀行西荻窪支店、振出地同都三鷹市、受取人丸和興業株式会社代表者(前出甲第三号証の一によれば「取締役社長」)たる被告なる約束手形一通を同年八月二十七日拒絶証書作成義務免除のうえ原告に裏書譲渡し原告が支払のため右手形を呈示し支払を拒絶され現にその所持人であることは当事者間に争がなく前出甲第三号証の一によれば右手形呈示は満期日に次ぐ二取引日内たる昭和二十七年十月二十七日になされたものであることが認められる。

ところが丸和興業株式会社が当時設立が予想されていながら遂に設立に至らなかつたものであることは当事者間に争がない。

これがため右売買竝びに手形裏書をなすにあたり右会社の代表資格を称した被告個人の責任につき当事者間に主張が対立するので考えてみる。

先ず本件手形裏書について。

およそ手形行為の方式についてはいわゆる手形外観解釈の原則が適用せられるため手形に記載された事項は事実に合致する必要がなくたゞ形式的に手形要件を充たせば足りるから前記会社が実際上存立しなかつたことによつて本件手形裏書の効力が左右されるものでないことはいうまでもない。と同時に手形行為の解釈についてはそれが証券的行為たる性質上手形面の記載のみによつて判断すべくその記載以外の事実から当事者の意思を推測して記載を変更し又は補充することが許されないところ本件の場合においては手形の記載上被告が丸和興業株式会社取締役社長の資格を表示して裏書をなしたものであることは前記認定のとおりであるから右会社が設立に至らなかつたものであるという手形記載外の事実から推して原告主張のように被告個人を以て裏書人と解することはできずむしろ被告主張のように手形の記載に従い被告がその代表資格を称した丸和興業株式会社を以て裏書人と解するのが相当である。

しかして手形法第七十七条第二項、第八条前段によれば代理権を有しない者が代理人として約束手形に署名したときは自らその手形により義務を負う旨を規定するが右規定は民法第百十七条の規定と同じく取引の安全を図るため行為者に無過失責任を負わしめたものであつて唯流通証券の性質に鑑み民法の右規定を修正し行為者に相手方の選択による損害賠償責任を負担させず専ら本来の給付たる手形上の責任のみを負担させるとともに相手方の悪意の場合における例外規定を除き手形法第十七条の規定する手形抗弁の運用に委ねたものと解せられる。従つてその取引安全を保護する法理に照すと法人の代表機関として手形行為をなした者がその代表資格を証明することができない場合にその適用があるのは勿論として更にその法人の存在を証明することができない場合にもその準用があるものと解するのが相当であるけれども同時に又手形授受の直接当事者間においては相手方の悪意の場合の民法第百十七条第二項の例外規定が適用されこれに基く抗弁は当該手形授受者間において対抗されるのみならずいわゆる悪意の抗弁が成立する場合には手形の譲受人にも対抗し得るものと解するのが相当である。本件につきこれをみれば本件手形の裏書人たる丸和興業株式会社が実在しない会社であることは前記認定のとおりであるから右会社の代表機関として裏書をなした被告は原則としては手形裏書の責任を負担すべきものである。しかしながら後記認定の事実竝びに弁論の全趣旨によれば被告から右手形の裏書譲渡を受けた原告は右会社が当時実在しないことを知つていたことを認めるに十分であるから民法第百十七条第二項の準用の結果被告には手形裏書の責任がなく右事由は手形法上においても被告から原告に対抗し得るものという外はない。

それならば原告の本訴請求中本件手形金の支払を求める第一次の請求は爾余の判断をなすまでもなく失当であるから棄却しなければならない。

そこで右請求に対する予備的請求についても便宜判断を進めることとする。

成立に争のない甲第四号証の二乃至五、証人松本章敬、同三野明義(第一回)の各証言竝びに被告本人尋問の結果(第一回)を併せ考えると原告は丸和興業株式会社取締役社長の資格を称する被告に対し特中塊炭を株式会社塩谷製作所渡の約で売渡すべく約しこれに基き昭和二十七年七月二十五日から同年八月十六日までの間に右石炭合計百七十二屯四百七十瓩の引渡を了したこと、本件手形は右代金の一部たる金二十三万八千七百五十二円五十銭の支払のために裏書譲渡されたものであることが認められる。

ところが右売買についても前同様の理由から被告個人の責任如何が争われるのでこの点を冒頭認定の売買の同様の争点に併せて考える。

本件売買にあたり被告がその代表資格を称した丸和興業株式会社が実在しないことは前記認定のとおりであるから右売買契約の効果を右会社に帰属せしめることができないことは当然である。被告は従つて右売買は元来無効のものである旨を主張する。しかしながらこのような場合においてはむしろ実在しない会社の代表資格を称して契約をなした経緯等契約当時のすべて事情を綜合斟酌して契約当事者の意思を探究しこれを合理的に解釈すべきものであつて会社が実在しない一事を以て直ちに契約を無効と解するのは妥当ではない。

本件の場合の事情は如何。証人大野良雄、同藤巻勝の各証言により真正に成立したものと認める乙第一号証の一乃至三、同第二号証、証人松本章敬、同三野明義(第一、二回)、同宮崎芳作、同早坂清行、同大野良雄の各証言竝びに被告本人尋問の結果(但しいずれも後記措信しない部分を除く)を綜合すれば三野明義、大野良雄、早坂清行竝びに被告は昭和二十七年四月頃原告会社採堀の天北石炭の販売を業務目的とし原告会社の販売総代理店となるべき丸和興業株式会社の設立を目論み右計畫を実現するため原告会社東京営業所勤務の松本章敬、戸某を始め倉庫、運送業を営み原告会社とも取引関係のある株式会社星野組(前記三野明義はその社員)の取締役社長遠田某等に働きかけてその賛同を得将来は同人等をも株主に迎え入れることとし新設会社の株式払込金には事実上丸和興業株式会社の名義により石炭売買の取引をなしこれによつて生じる収益を以て充当する算段のもとに取敢えず前記大野良雄方に創立事務所を設置するとともに会社設立後は被告が取締役社長、三野明義が専務取締役、大野良雄が常務取締役、前記早坂清行が監査役に各就任すべきことを定め且つ三野明義において前記星野組の退職金を引当にその遠田社長から金七万円の融資を受けこれを当座の運営資金とし会社設立前において既に各自が前記役名を使用して対外的折衝をなし被告も亦丸和興業株式会社取締役社長なる資格を称して原告から代金後払の約で石炭を買受けこれを他に転売して事を運んだが転売代金の取立が捗らなかつたので当初の計画にあつた収益積立の目算が外れ同年八月下旬には三野明義が脱落しその後も資金調達の見込が付かなかつたため同年暮頃には遂に会社設立の計画は瓦解するに至つたこと、しかして本件石炭の売買にあたり被告が丸和興業株式会社取締役社長の資格を称したのも右事情を一歩も出でるものではなく原告会社においても帳簿その他の書類の処理上取引の相手方を丸和興業株式会社として表示したが被告との折衝その他の業務を担当した松本章敬は勿論当時の代表取締役宮崎芳作も丸和興業株式会社の設立を援助する意向を有した位で(原告会社は本件売買後被告等に対し右設立資金として金三十万円を融資すべく申出た事実がある)丸和興業株式会社が設立を予定されながらいまだ設立に至つていないこと、すなわち法人格を有するものでないことを知つていたものであることが認められ右認定に牴触する前記各証人竝びに被告本人の各供述部分は措信しない。してみると被告は三野明義等ととともに石炭の販売竝びにこれがため株式会社を設立すべきことを共同の目的として一種の団体を組織結合したことが明らかである。そこで右団体の法律的性質を考えると被告は丸和興業株式会社は既に社団的構成を有し被告をその代表者と定めたものであつて権利義務の帰属を認むべきものである旨を主張するが証人早坂清行、同大野良雄の各証言竝びに被告本人尋問の結果中被告等が右会社の設立計画に基きその定款を作成したことを窺わせる供述部分はにわかに措信し難く他には右会社の定款が作成されたこと、いわんや右定款に発起人の署名があることを肯認すべき証拠がなく従つて右会社は社団としては当然有しなければならない根本組織を具備したものとはいい難いから前段認定の事実だけではいまだ被告主張のような社団の成立を認めるに足らず他に被告の主張を肯認すべき資料はない。むしろ前記認定の事実によれば前記団体の構成員たる被告等は前記共同目的のために各自が少くとも労務を提供すべき旨を約するとともに収益は新設会社の株式払込金に充当して各自その株式を取得すべき旨を定めたものであることが推認されるから被告等の間には組合契約が成立したものと認めるのが相当である。もつとも被告は右組合を以て丸和興業株式会社の発起人組合であるとも主張するが前説示のように右会社の発起人が定款を作成してこれに署名したことについてはなんら立証がないから右組合を以て発起人組合となすのは当らない。次に前記認定の事実によれば被告は本件売買を右組合のためになしたことが明らかである。しかしながら被告が右売買をなすにあたり丸和興業株式会社取締役社長の資格を称したことにより右組合の代理行為が成立するか否かにつき考えてみると前記認定の事実から判断すれば丸和興業株式会社は右組合の事業遂行の結果将来において設立さるべき株式会社の名称であつて右組合自体の名称ではないと考えるのが相当でありその組合員が各自将来就任を予想された右会社の役名を使用したからとてそれだけで右組合が丸和興業株式会社なる名称を付されたものとは考えられない。従つて被告が本件売買にあたり右会社の取締役社長の資格を称したのも右組合の名において売買をなしたものとはにわかに解し難い。のみならず原告が右組合の存在を確認しこれと取引をなす意思を有したものならば格別そのような形跡は証拠上認められないから被告が右代表資格を称したのは将来設立のうえ就任すべく予定された会社代表者の名称を被告個人の単なる肩書として便宜使用したにすぎず又原告が本件売買につき前記認定のように帳簿等の処理上取引の相手方を右会社として表示したのも将来右会社が設立され被告がその代表者に就任すべきことを予想して被告の呼称に従つたにすぎないものと認めざるを得ないことになる。すなわち被告は内部に組合関係があるけれども外部に対し被告個人の名において行動したに等しい。しかしてかような場合においては被告個人のみが対外的法律関係の当事者となつたものと解するのが相当である。被告は前記会社が設立された場合本件売買は右会社の契約となるかのような論理を前提としてその不合理を攻撃するが右主張は採るに足りない。

それならば被告は原告に対し(1) 、前記ライオン歯磨東京工場向なる洗中塊炭の売買代金六十万七千百九十四円及び(2) 、前記株式会社塩谷製作所渡なる特中塊炭の売買代金の一部たる金二十三万八千七百五十二円五十銭、以上の合計金八十四万五千九百四十六円五十銭の支払義務があるものである。

次に被告の同時履行の抗弁権行使の主張について考えると成立に争のない甲第四号証の一、証人松本章敬、同三野明義(第一、二回)同宮崎芳作、同大野良雄の各証言竝びに被告本人尋問の結果を綜合すれば原告は売買の約旨に従い昭和二十七年八月二十八日被告の指図を受けた長本某に対し右(1) の石炭を引渡したこと、ところが右長本は被告の指図に反し右石炭をライオン歯磨東京工場に引渡さず他に転売したことが認められる。そうしてみると被告に対し本件石炭の引渡がなかつたものとはいい得ないのであつて長本某が被告の指図に反した事実の如きは同人と被告との間の問題たり得るにすぎない。被告は右石炭は前記組合に対し引渡されたが被告に対しては引渡がなかつた旨を主張するが右主張は理由がない。

最後に被告の相殺の抗弁につき判断する。証人大野良雄の証言により真正に成立したものと認める乙第四号証、証人松本章敬、同早坂清行、同大野良雄の各証言竝びに被告本人尋問の結果を併せ考えると被告は原告から石炭の販売委任を受けこれに基き昭和二十七年八月六日中央興産株式会社との間において原告採堀の石炭千二百屯を売渡すべき旨の契約をなしたことが認められる。しかしながら右委託契約につき被告主張の前掲手数料の特約が存したこと、あるいは少くとも被告が右売買代金を取立て原告に引渡したことについてはこれを肯認するに足る証拠がない。それならば被告が原告に対し右委託契約により金三十万円の手数料債権を取得したことを前提とする相殺の抗弁は採用することができない。

以上の次第であるから原告の本訴請求中被告に対し本件売買代金合計八十四万五千九百四十六円五十銭の円未満を切捨てこれに本件訴状送達の日の翌日たること記録上明らかな昭和二十八年三月四日から完済に至るまで商法所定年六分の割合による遅延損害金を付して支払を求める請求は正当として認容しなければならない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条但書を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 駒田駿太郎)

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